2011年3月20日日曜日

地震記録 初日

2011年3月11日 14時46分 に国内最大の地震が起きました.
この地震で被災し大切な方を失ってしまった皆様に心からお詫び申し上げます.

とりあえず日記をかけるほど家のことも落ち着いてきたので,
記憶があるうちに出来事を記録することにする.

初日:2011年3月11日(金)
仙台の研究室で実験中に地震発生.居室は6階建てビルの4階.緊急地震速報が作動し「震度4」と予報.
皆で「4か,とりあえず机にもぐっとくか」的なのりで,このあとおきることなんて何も知らずに机の下へ.
そこそこ強い地震がくる.震度5強くらいかな?まぁ宮城県民だし,それくらいの地震は慣れっこで,
皆も強いのきたぞ,位の反応だった気がする.その地震が収まってきたかなーと思いきや突然の第二波.
こいつは次元が違かった.経験したことのない強烈な横揺れを感じた.机の上のPCやディスプレイ全部ひっくり返って落ちる落ちる.棚から物が飛び出す.200kgもあろう実験器具がバンバン動いてる.壁がメキメキはがれてる.窓が開いて縁から亀裂が入る.電気がついたりきえたりしてパチパチいってる.
「震度4じゃねーよこれ!!」とか「天井落ちてきたら・・・床抜けたら・・・」とかアホなことを思い始める.あとはとにかく「早く止まれ早く止まれ…」が脳内無限ループしてた.

収まった.もういわゆるドラマのワンシーンのような状態だった.何というか,取り出すことが出来るものがすべて取り出されて,部屋中に無造作にばら撒かれてる感じ.壁が割れて部屋が埃っぽくさーっとしてる(何と表現すればいいのだろう).電気は消え窓から光が漏れてる.警報機がジリジリなってるのが聞こえる.という感じ.
もうとにかく部屋を出たかった.居住者6人,着の身着のままで災害時用ヘルメットをかぶり居室のドアをあける.すると抜けた天井が目の前に落ちて割れてる.もし俺たまたまここにいたら...と思うと恐ろしい.階段で避難をしようとするけど,何か壁抜けまくり.階段傾いてる.結構きれいなビルだから,ますますただ事じゃないと感じる.外にはたくさんの人がいた.何か道路がぽっこりしてるとこがある.食堂の電気も消えてる.

とりあえず広い駐車場に退避.強い余震を感じる.そうこうしてるうちに寒いことに気がつく.何か雪強くなってるし,ジャージにサンダルだもん(私の謎の研究スタイル).財布とジャケットを取りに部屋に戻る.非常食にとお菓子を回収.ますます雪が強くなる.あんまりに寒いんで車に入れてもらう.3時すぎくらいにとりあえず家族に連絡.家族は全員無事のよう.この時点ではまだ電波は拾えた.指導教員から心配メールが来てたので返信するが,リターンメールが返ってくる.サーバがやられたか.そしてこんなときに限って携帯の電池が切れそう.友人のワンセグでニュースを見る.M8.8の大地震.10mの大津波警報.こりゃますますただ事じゃないと認識.

道路で大渋滞が起きてる模様.多分電車もバス使えないだろう.さて,仙台市民でない私はどうするべきか.と思ってたら,スピーカで放送が流れる.
「うちの学校の体育館はあんま丈夫じゃねーし,食料もねーから,帰れ帰れ(超超意訳w)」
はいはい,言われんでも出て行きますとも.仕方ないから歩く.校舎をざっくり見ても崩れてるところは見当たらない.中はどうか分からないが.
そしてやっぱり大渋滞.絶対歩いたほうが早い.道路がぽこぽこしてる.柱が倒れてる.皆ヘルメットかぶってる.もういかにもって感じになってる.

青葉山を降りる途中,そういえば川内に電動自転車置いてるんだった,と思い出して回収.これが後に功を奏す.4人で行動していたが,2人は台原方面の実家に向かって,私ともう一人の方で,その人の家の方面である南仙台に向かうことになり,2人行動になる.この方が私を救ってくださった恩人となる.

辺りが暗くなってくる.たまたま片平で避難所となってる小学校を発見し,そこに避難し一晩過ごす.しかし寒かった.雪降ってるし,超絶に寒かった.食べ物も水も暖房も毛布も無かった.せめて足用にタオルさえあればと思ったが,贅沢は言えない状況だった.新聞紙だけばら撒いてあった.無いよりはありがたい.そしてなぜか常に持ち歩いてる飴で空腹をしのいだ.(ダイエットで絶食に慣れていたのが功を奏したw) ここで自分らが如何にすばらしい生活をしていたか痛感した.あと,こういう不特定多数の人がいる空間だと,やっぱり自分のことばっかり考えてる人がいる.仕方ないんだけどね.

この日の夜はメール10回送信を試みて1回送れるくらいに電波が通ってた.そして携帯の電池が切れた.こんなこともあろうかと,PCとUSB充電器を居室から持ちこんでいだのだ.PCの電池が持つ分,少しだけ充電して安心材料に.
そんなこんなで,超絶な寒さと,止まない余震と,ラジオから絶え間なく聞こえる緊急地震速報の警報音で,2人とも眠れなかった.

反省点:
携帯の電池は何かあったときのためにある程度充電しておくべきだった.
居室に戻ったときに,冷蔵庫から適当に水分を持ち出すべきだった.

2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
    PASS:
    まささんと連絡とれてない間ようへいとどうしてるかなーって話してたんですけど、さすがに避難所でTOEFLの単語カード持ってブツブツいったりしてなかったようですね。安心です!

    返信削除
  2. SECRET: 0
    PASS:
    ��れおん
    ああ,あんときゃ何かそれどこじゃなかったわw なぜかTOEFLの本がかばんに入ってはいたんだが,この日ばかりは床が冷たいから座布団代わりになったわw

    返信削除