りさーちゃーのひよこ
技術のこととか
2014年8月15日金曜日
夢追い: 2.大学生期 -怠惰-
##夢追い
0.はじめに -迷走-
1.幼少~思春期 -夢想-
2.大学生期 -怠惰-
← イマココ
3.留学生期 -復帰-
4.大学院生期① -慢心-
5.大学院生期② -転換-
6.社会人期① -回顧-
7.社会人期② -進学-
8.まとめ -自己実現とは-
#学部1年、2年 ##怠惰な生活 高校までの猛勉強の反動で、前半戦は実に怠惰な生活を送っていた。如何に楽に効率良く日々を乗り越えるかばかりを考えていた。このときのロボットに対する志など口ばかりで大したこともなかったのだろう。
一応ロボコンのサークルに所属し、地元のロボコンや学祭向けのロボット製作に打ち込んではいたが、今いち技術の伸びしろが無い。メンバにもうまく馴染めず、適当に取組んでいた。
##原因 なぜこうなってしまったのだろうか。第一に、高校で過酷なプレッシャーのある生活を送った反動で、勉強しなくてもいい環境に居心地の良さを感じてしまった。
第二に、受身人間であったということ。テストや宿題が出されればそれは全力で取組むが、何のデメリットもないような自主的な取り組みを継続するのは苦手であった。専門科目を受ける中でロボットの知識が身につくだろうと思いきや、そんなことはありえない。大学の授業が完全に形骸化している点にも幻滅していた。
その上、ロボコンサークルという自主的な取り組みについては身が入らなかったのである。受身人間の私はそれを環境のせいにしていた。そのサークルは決してロボコンで強いと言えるレベルではないこと、講習会などがないこと、顧問が全く介入していないこと、などが悪いと心で嘆くだけで何も行動していなかった。サークルは学生の自主性を重んじる場であるにも関わらず。
##家庭教師 一方、何故か家庭教師のアルバイトには精力的に励んでいた。生徒さん専用の教材や補助資料を作ってあげると成績も上がり、家族も喜んでくれるその一連にやりとりに強いやりがいを感じたのだろう。
大変ありがたいことなのだが、教えた生徒さんのほとんどが私の解説が一番分かりやすいと言ってくださった。私自身、生徒さん位の年齢では人より理解するのが遅かったので、教える際にはそれも幸いしたのだろう。
とまぁ、良くあるダメ学生を満喫していたのがこの頃である。自分がダメ学生ということにも気づかず、このまま楽な生活を送れればいいとさえ考えていたわけである。
#学部3年、4年 ##研究室配属 私の所属した学科では学部3年で研究室に配属する。他の学科に比べると圧倒的に早いようだ。研究室配属は成績がよいと希望が通りやすいというもので、正直当時の私の成績では人気のあるロボット研究室への配属は難しいと判断していた。そこで、私の成績で配属可能な場所で、ロボットにつながる様な研究をやっている場所はないかと思い選択したのが、私が修士の学位を頂くことになるロボットビジョン系の研究室となった。この判断は正解だったと判断している。
さらに肝心かなめの研究テーマだが、ロボットの方面ではなく書き換え可能なハードウェア(FPGA)による高速画像処理アルゴリズムに関する研究となった。ロボット方面の指導教員が厳しく、当該テーマの教員が優しいということ、FPGAにはロボコンサークルの関係で興味があったという理由である。前者は実にくださらないが、この選択も結果的に正しかったと胸を張って言える。
##刺激と行動 さて、研究室に配属して、同期や先輩などと話をしていく中で刺激を受けた。そしてようやく気がついた。私が何の変哲もないダメ学生であるということに。研究室配属が3年生で本当によかったと思った。何かしないとと焦った。そこで取組んだものが二つ。
- 飲食店でのバイト これまで経験しなかった職種でもう少し世の中を知りたいと思った。
- 留学準備 何か、いいと思った。アメリカに何となく憧れはあったし。英語も話せるようになりたかった。何より、人とは違う経験を積みたかった。 と、この辺りから随分生活が変わった。授業の傍ら、家庭教師2件+塾講師+飲食店でバイトをしながら、留学のための英語学習を始めることになった。空き時間のほとんどは英語の勉強に当てていたように思う。自分が悪いのだが、この時期は研究もろくにしていなかったので、本業がなんだか分からない感じになっていた。
##成果 TOEIC400点台から始まった1年半英語勉強の末、TOEIICは850を取得し、アメリカ留学に必要なTOEFLスコアも取得したことは人生でも大きな成功体験であった。時間のある学生のうちにたくさん英語の勉強をして本当に良かったと思っている。
一方、英語の勉強をしすぎて卒論がおざなりになっていた私は、挽回のために昼夜を問わずに研究する目まぐるしい生活を送りながら何とか卒論を完成させたのを記憶している。全くもって、ダメな学生であるのだが、まぁレバレッジは効いたのだからよかったと思う。
家庭教師や塾講師の教え子もどんどん巣立っていくのを見守るのも、あぁやってて良かったと思うことが多々あり、いろいろとまぁ良い経験ができているなと実感していた。
##人 人との繋がりには実に恵まれいたと思う。私が留学を希望する大学の留学経験者はとても前向きでガッツのある人で、この人に大いに励まされたことは今でも記憶している。また、ともに交換留学を目指す同志にも恵まれ、今でも良い関係を築いている。
研究室の同期も皆良いメンツで、研究の傍ら楽しく遊ばせてもらった。指導教員にも恵まれ、無事に卒業できたというものである。この後もお世話になるわけだが。
##葛藤 ただ、やはりロボットはどこへ?という感じである。単発で何かしらをやっているようには思えたが、とかく一貫性が無い。自分の志したものはどこへ行ったのだろうと疑問には思い始めていた。その大学院は同じ研究室に進学する予定だったが、その研究テーマに対する興味も相当薄れていた。
そんなふらっふらな状態で私は、大学院に進学することとなる。
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