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2011年3月25日金曜日

放射線関係のサイト

参考になりそうなサイトを自分用にぺたぺた張る.

放射線量チャート
図を使ってすんげー分かりやすく,数字と影響を関連付けてくれてる.

放射線科学センター 暮らしの中の放射線
子供向けに書いているのか,分かりやすい.

仙台市青葉区の放射線量
室内外両方の測定値があるのが好き.

今の仙台の放射線量から生涯の被曝放射線量を概算して,記事をちまちま読んでいれば,まだ焦る段階じゃないのかな,と勝手に思ってる(主観).

研究者達も「ただちに危険な状態ではない」というのは,どんなに小さい被曝量でも「リスク」が発生してしまうから.
結局,今回の原発事故があっても無くても確定的に「安全です」と言うことはできないんだろうなぁ.

2011年3月23日水曜日

地震記録 13日目

飛んで,13日目.
休憩と言い訳をしてまたこんなものを書いているw

今日は初めてボランティアというものをした.

社協には友人がいて,色々教えてもらってて,今朝はちょっとわくわくしながらいった.
その友人の弟に会う.10年ぶりくらいでわからんかったw すまなかった.
中学生,高校生が多いよう.関心.大学生が少なかった.

順番に仕事が読み上げられる.出来そうなのが来たら挙手って感じ.

で,今日は民家のお片づけをした.ぱっと見ひどいように見えるけど,やれば大したもんじゃないのは経験してたから,初見から見通しはついていた.

ちゃっちゃかやって終わると,どうやら喜んでくれていた.明日もやろう.

このところグータラだめ人間全快だったし,生活リズムを維持できるのもいい.

そのあとファストフードで唯一あいてたミスドで3時間居座ってTOEFLやってた.やっぱ家以外なら集中できるなw 自分の非力さを肌で実感できてまじ良かった.

しかしなぁ,いつまでもミスドじゃまずいよなー.
必要なときに本も買いたいし,お金がかからなくて,集中できる環境がほしい.

付録:今日この頃の古川事情を少し

○スーパー
古川ジャスコ:今日から閉店→24日営業らしいっす
Aコープ:14時まで(そんなに並ばない)
Uマート:16時まで(そんなに並ばない)
ヨーク:× 店内で天井落っこちてる
業務スーパー:×

○コンビニ
予測不能状態.在庫によってあいたりしまってたり.
あいてるところにいってもほとんど抜け殻みたいな感じ.

○ファミレス
ガスト:×
Big Boy:×
ステーキワン:×
ジョイフル:×
まるまつ:◎ 8時~(朝)4時!!! なぜおまえだけ何事も無かったかのように...

○ファストフード
マック(駅,ジャスコ):×
モス:?(在庫切れと表記)
ケンタ:×
ミスド:10時~20時 ドーナッツは5種類 カフェオレ飲み放題健在

○薬局
ツルハ:基本やってるっぽい.入荷もがんばってるっぽい.
ダルマ:カイロとか食品はない
ヨネキ:カイロとか食品はない

○その他通りすがったお店
ゲオ:×
ブックマーケット:×
メルシー:○
ケンタ前のネカフェ:○ おまえかよw
その近くのカラオケ:○ おまえもかww
スーパーXX:○ そしてなぜお前がwwwwwww

○ゆかりの地
我らがきゅうせいどう:最近しまってる.早く復活してー
図書館:要注意物件 使用不可
さくら:× 入り口で売れなそうなカードとかご自由にお取りくださいになっててうけたw
さくら横の50円ゲーセン:×× もう使えないだろう.
きのこ公園:健在
リオーネ:生鮮食品のとこだけやってるっぽい
陸羽東線:狙ったかのような目立つ位置で,堂々と止まっている
東中:入り口崩壊
二小:体育館使用禁止状態
まだ高校は確認してない.

2011年3月21日月曜日

地震記録 6日目-7日目

一週間分記録しておけばいいかな.とりあえず自己満足w

(5日目と6日目がごっちゃになってた.修正.)
6日目:2011年3月16日(水)

この日は両親も歳なのでスローダウンしてもらった.

私は片づけをひと段落させ,また引き続き食料と電波を探索.何と屋台のたこ焼き屋さんを発見.寒い中頑張ってなーおっちゃん,ってことで30分くらい並んで購入.うまかったよ,おっちゃん.

更に徘徊し,14時頃Uマートに到着.長蛇の列.今日の販売は終了とのこと.翌日は9時営業とのこと.並ぶしかないと心に誓い,引き続き徘徊.最寄のAコープは「臨時休業中」と「人数制限で営業」の両方の張り紙があって,どっちなんだよって感じだった.たまに家がつぶれてる.マンションヒビ入ってる.こえーわ.たまーに自販機が起動してる.お茶は全部売り切れ.コーヒーが不人気のようで,とりあえず衝動買い.
また我らがきゅうせいどうでお菓子を購入.トトロケーキなる不思議なケーキを購入.包丁で切るのが実に痛々しかったが,美味しかった.

姉にも頼んでネットで店舗情報を教えてもらう.いやはや,感謝.

翌日朝からUマートに並ぶからさぁ寝るぞというときに,母に呼び出される.親父が超もがいてる.腹が痛いらしい.病院わからねーなと思ってたときに,たまたまルータが目に入る.ほえ?ネット繋がってる?さっきまでだめだったのに?と,慌ててPC起動.おおー!おかえりGoogle先生!とりあえず診療可能な病院をチェック.さて当の親父のほうは,市販の薬を飲ませて布団に戻ってもらって,しばらくしたらすぐにいびきかいて寝てた.なんだよーーおいっw まぁこっちも寝られたからいいんだけど.

ネットもつながり一安心.しかしまだテレビは衛星しか見られない.NHKニュースばっかだと暗い話しか入ってこなかった.

7日目:2011年3月17日(木)

若干親父が気になったが,朝8時に歩いて母とUマートへ向かう.既に長蛇の列.並ぶ.後ろのおばちゃんと世間話をする.おっさんに横入りされる.人数の割りに意外とペースがよい.何と一人10分の時間制限だったのだ.購入点数の制限はないらしい.この日も寒かった.無情に雪が降る.とっさに持ってきた傘が役に立つ.

2時間ほど待っていよいよ我々の番.母と二手に分かれて気合を入れて買い物をする.10分後合流.あまり打ち合わせしなかったから,品がかぶった.てか買いすぎた.親子そろってこれか...誰が持つんだこんな量.
とりあえずある程度俺が持って帰って,母には待ってもらって車で迎えに行く作戦をとることにする.前夜のこともあったし,親父を使うのはまずいと思った.あまりの荷物に見かねた若い女性が我々を助けてくれた.いや,本当に申し訳ないです.ひとまず家に帰る.親父がずいぶん元気でピンピンしてるではないか.気を取り直して母を迎えに行き,買った物を整理.肉と野菜を手に入れたので,夜はカレーライスになった.ウハウハする.

この日もある程度お部屋を整理.

反省点:
後先考えて買い物をしましょう.
他の人のことも考えましょう.

--
そして,最後にあと一日分だけ...

地震記録 2日目-3日目

2日目:2011年3月12日(土)

結局寝られず朝になる.やっぱり寒い.いつまでこの状態が続くのだろうと不安になる.500mlの水が支給される.救われた.たかが一晩でも,水が手に入らないというのがこんなにも恐怖なこととは思いもしなかった.

朝一番で共に避難していた研究員さんと南仙台へ向かう.黒い煙がもくもくしてるのが見えたり,お店のガラス張りの窓が落っこちてたり,マンホールから水がごぼごぼ出てたりしてありゃりゃーって感じになる.主要道路で自家発電可能な信号だけついている.コンビニには電話待ちで長蛇の列.どこの店舗も営業はしていない.

2~3時間くらい歩いただろうか.そろそろ研究員さんのうちに着くかと思ったとき,たまたますれ違ったおばちゃんが近くでご飯を支給していると教えてくれた.言われたとおりに歩くとそこは防災センター.しかも蛇口から水が出る.わかめご飯を頂く.こうやって親切に教えてくれる人はいるんだな.ありがたい.
10時ごろ研究員さんのうちに着く.車で暖をとる.ご飯を食べる,うまい.電波は繋がらない.カーナビでテレビは見れた.津波で街が壊滅してるって.若林区に死体があるって.なんだよこっから車ですぐんとこでそんなことになってのかとぞっとしつつ,疲れていたのか気づいたら眠っていたよう.

1時ごろ起床.とりあえず最寄の避難所へ行くことに.研究員さんが準備をしてくれた.車で小学校へ行く.研究員さんがワゴンでエアベッド膨らまして,私をまた寝かせてくれた(私が学校で愛用している奴のダブル版だったw).気づくと夕方.物資の支給は無いよう.研究員さんの家にあった冷凍食品のから揚げを冷たいまま頂く.いや普通にうまい.二人で交代で手回しラジオをまわす.悪いニュースばっか.そのうち寝る.朝方どうしても寒くて一度エンジンをつけた.

反省:
もうこの日はこの研究員さんにお世話になりっぱなし過ぎ.すぐ寝る前に,強気に何か貢献すべきだった.

3日目:2011年3月13日(日)

朝ラジオ情報によると,七十七銀行やってると聞く.手持ち千円ちょっとの私には朗報だった.こういうときにちゃりは役立つ.てなわけで,ちゃりで最寄の七十七に行く.休業.ガーン.長町でやってると張り紙あり.何となく脳内計画立てる.実は銀行に行く途中で,サンクスが店頭で営業しているのを見た.研究員さんはちゃりで南仙台駅に行くという.なんとも献身的な方.特に得られた情報は無かったようだった.私は代わりに当該サンクスでお茶x3,ガム,飴を入手.在庫はほとんどなくこれが限界.

避難所に戻ると,お昼に豚汁が出るという朗報.近所のとんかつ屋さんが善意で炊き出しをしてくれた.実にうまかった.冷凍のから揚げとフライドポテトをあったかい汁に突っ込むと十分うまかった.感謝に尽きない.落ち着いたらこのとんかつ屋行かないと罰があたるぞ.

避難所に新聞がくる.手回しラジオを聞く.悪いニュースばかり.

ちょっと腹ごしらえも終えたところで,思い立ってちゃりで仙台駅方面に行くことにする.結構距離ある.途中ランチ営業をしている店舗があった.長町に着くとローソンがやってた.コーラx4本を500円で購入.ケーキ屋がやってた.20分ほど並んでとりあえず腹に溜まりそうなものを購入.居酒屋がお持ち帰りを頑張ってやってた.30分ほど並んで焼き飯を購入.俺の後ろくらいで食材が切れたらしい.セーフ.何かもうこの時は飯が無くなる恐怖でいっぱいだった.

長町駅へ.電車復旧の見通しは全くたたないとのこと.自販機の電気がついてる.あったかいコーンポタージュを購入.電波がかすかに通ってる.やっとの思いで関東の姉と繋がる.色々協力してくれた.まだ両親とは通話できてない.ここ数日は音信不通.古川は電波ないだろうなと思ってた.

長町の七十七へ.とりあえず降ろせるだけ降ろした.案外ほぼ並ばなかった(前日の昼過ぎと,当日の朝は大行列だったらしい).ちゃりでの移動を考えると,時間的にも仙台に行くのは厳しいと思われたので引き返す.

研究員さんに報告.戦利品で腹ごしらえをする.電波を求めて研究員さんもちゃりで長町へ.家族と連絡が取れたらしい.連絡が遅れご両親に怒られてしまったらしい.それをうけて研究員さんは,俺を古川に送ってくれるという.いやいや燃料もったいないし,悪いですと言ったが,結局送ってくださった.本当,頭が上がらないです...

高速は緊急車両以外は通れないという情報はあった.4号を通る.案外すいすい行けた.

夜の古川.信号はバイパスだけ復活してた.暗くて被害とかよく分からん.両親とはほとんど連絡取れてないから,この時親が避難所にいるのか,自宅にいるのか不明だった.とりあえず家に行って,いなければ近くの学校を探索しよう作戦を実行.
我が家に着く.とりあえずざっくり外から見る.客間のガラスが割れてる.ガーン.そのままぐるりと家を下見.話し声が聞こえる.ドアが開いてた.早くも作戦終了.両親は無事だった.まずは一安心.家族一同,研究員さんにひとしきり感謝しまくる.長町の戦利品を分配し,彼は仙台に戻られた.かっこよすぎだろ.

この段階で我が家では水とガスが使えた.何と恵まれた環境だろう.とりあえず不安は一つ取り除かれた.気温は低いが,あったかい布団で眠れた.多くの家具は倒れたままだった.

反省:
実は研究員さんの手持ちラジオを謝って我が家に持ってきてしまった.後で死ぬほど謝ることになった.手荷物の確認は,わが人生最も苦手とするところの一つ.人に迷惑かけないよう更なる徹底をする.

2011年3月20日日曜日

地震記録 初日

2011年3月11日 14時46分 に国内最大の地震が起きました.
この地震で被災し大切な方を失ってしまった皆様に心からお詫び申し上げます.

とりあえず日記をかけるほど家のことも落ち着いてきたので,
記憶があるうちに出来事を記録することにする.

初日:2011年3月11日(金)
仙台の研究室で実験中に地震発生.居室は6階建てビルの4階.緊急地震速報が作動し「震度4」と予報.
皆で「4か,とりあえず机にもぐっとくか」的なのりで,このあとおきることなんて何も知らずに机の下へ.
そこそこ強い地震がくる.震度5強くらいかな?まぁ宮城県民だし,それくらいの地震は慣れっこで,
皆も強いのきたぞ,位の反応だった気がする.その地震が収まってきたかなーと思いきや突然の第二波.
こいつは次元が違かった.経験したことのない強烈な横揺れを感じた.机の上のPCやディスプレイ全部ひっくり返って落ちる落ちる.棚から物が飛び出す.200kgもあろう実験器具がバンバン動いてる.壁がメキメキはがれてる.窓が開いて縁から亀裂が入る.電気がついたりきえたりしてパチパチいってる.
「震度4じゃねーよこれ!!」とか「天井落ちてきたら・・・床抜けたら・・・」とかアホなことを思い始める.あとはとにかく「早く止まれ早く止まれ…」が脳内無限ループしてた.

収まった.もういわゆるドラマのワンシーンのような状態だった.何というか,取り出すことが出来るものがすべて取り出されて,部屋中に無造作にばら撒かれてる感じ.壁が割れて部屋が埃っぽくさーっとしてる(何と表現すればいいのだろう).電気は消え窓から光が漏れてる.警報機がジリジリなってるのが聞こえる.という感じ.
もうとにかく部屋を出たかった.居住者6人,着の身着のままで災害時用ヘルメットをかぶり居室のドアをあける.すると抜けた天井が目の前に落ちて割れてる.もし俺たまたまここにいたら...と思うと恐ろしい.階段で避難をしようとするけど,何か壁抜けまくり.階段傾いてる.結構きれいなビルだから,ますますただ事じゃないと感じる.外にはたくさんの人がいた.何か道路がぽっこりしてるとこがある.食堂の電気も消えてる.

とりあえず広い駐車場に退避.強い余震を感じる.そうこうしてるうちに寒いことに気がつく.何か雪強くなってるし,ジャージにサンダルだもん(私の謎の研究スタイル).財布とジャケットを取りに部屋に戻る.非常食にとお菓子を回収.ますます雪が強くなる.あんまりに寒いんで車に入れてもらう.3時すぎくらいにとりあえず家族に連絡.家族は全員無事のよう.この時点ではまだ電波は拾えた.指導教員から心配メールが来てたので返信するが,リターンメールが返ってくる.サーバがやられたか.そしてこんなときに限って携帯の電池が切れそう.友人のワンセグでニュースを見る.M8.8の大地震.10mの大津波警報.こりゃますますただ事じゃないと認識.

道路で大渋滞が起きてる模様.多分電車もバス使えないだろう.さて,仙台市民でない私はどうするべきか.と思ってたら,スピーカで放送が流れる.
「うちの学校の体育館はあんま丈夫じゃねーし,食料もねーから,帰れ帰れ(超超意訳w)」
はいはい,言われんでも出て行きますとも.仕方ないから歩く.校舎をざっくり見ても崩れてるところは見当たらない.中はどうか分からないが.
そしてやっぱり大渋滞.絶対歩いたほうが早い.道路がぽこぽこしてる.柱が倒れてる.皆ヘルメットかぶってる.もういかにもって感じになってる.

青葉山を降りる途中,そういえば川内に電動自転車置いてるんだった,と思い出して回収.これが後に功を奏す.4人で行動していたが,2人は台原方面の実家に向かって,私ともう一人の方で,その人の家の方面である南仙台に向かうことになり,2人行動になる.この方が私を救ってくださった恩人となる.

辺りが暗くなってくる.たまたま片平で避難所となってる小学校を発見し,そこに避難し一晩過ごす.しかし寒かった.雪降ってるし,超絶に寒かった.食べ物も水も暖房も毛布も無かった.せめて足用にタオルさえあればと思ったが,贅沢は言えない状況だった.新聞紙だけばら撒いてあった.無いよりはありがたい.そしてなぜか常に持ち歩いてる飴で空腹をしのいだ.(ダイエットで絶食に慣れていたのが功を奏したw) ここで自分らが如何にすばらしい生活をしていたか痛感した.あと,こういう不特定多数の人がいる空間だと,やっぱり自分のことばっかり考えてる人がいる.仕方ないんだけどね.

この日の夜はメール10回送信を試みて1回送れるくらいに電波が通ってた.そして携帯の電池が切れた.こんなこともあろうかと,PCとUSB充電器を居室から持ちこんでいだのだ.PCの電池が持つ分,少しだけ充電して安心材料に.
そんなこんなで,超絶な寒さと,止まない余震と,ラジオから絶え間なく聞こえる緊急地震速報の警報音で,2人とも眠れなかった.

反省点:
携帯の電池は何かあったときのためにある程度充電しておくべきだった.
居室に戻ったときに,冷蔵庫から適当に水分を持ち出すべきだった.

2010年3月21日日曜日

地震記録 8日目 と,決意

8日目:2011年3月18日(金)

地震からちょうど一週間.気づくともうそんなに経っていたか.

実は募金しようしようと思っていて,どこに募金すればいいかと少し迷っていたが,結局赤十字社に募金することにした.デマ(と信じる)嫌な噂はあったが,ちゃんと使ってくれそう(な気がした,というかあとは信じるしかない).どうせ今月は実家で生活になっちゃってるし,娯楽費もかからないし,本来の生活費をぽんと入れても問題ないと判断.これで変なことに使われたらたまったもんじゃねー.

さてニュースを振り返る.悲しいニュースばかりでどうしようもない.
まだ救助されている人もいるよう.その生命力には驚く.

原発に関して悪い噂が流れてる.
不安ならなおさら,もっと情報を探して,整理してから人に伝えないと大変なことになってしまう.とかぶつくさ考える.

さて,この日は天気が良くなったので,最後の最後に残してた客間の整理に取り掛かる.客間の問題点は二つ.
��.窓が割れてて危ない
��.何故かドアが開かないので入れない.
というわけでまずは1を始末する.ここでラッキー(?)なことに,1を始末すれば窓から入れるので,中からドアを修復すれば2が解決できると思った.
進入成功.しかしドアは直らない.ノブを回しても中のツッパリが引っ込まなくなっちゃったらしい.こりゃどうしようもない.近所の元大工さんが来て見てくれる.やっぱりどうしようもない.ってことで,なにやらそれっぽいカッターでつっぱりをちょん切ってくれた.ありがとうございました.

それから,整理しているときから,家にある使わない布団や毛布が目に入っていた.そうだどうせ捨てるくらいなら避難所に寄付しよう.というわけで,布団を寄付するという口実で古い友人の働く社協へ行く.出会った.こんな状況だから激務のようでお疲れの様子だった.ちゃんと休んだのかな.勤務中だから大して話もせず,とりあえずそこの行政の人に物資の寄付について尋ねる.
「市役所裏の災害対策本部じゃないと分からないです」
というわけで,市役所裏の災害対策本部に向かう.個人商店で建物の被害が小さいとこは結構営業始めてる.ひどく崩れてしまっているお店もあった.

本部に着く.寄付について尋ねる.
「国,自衛隊からの物資を系統的に云々で,個人からの物資は受け付けてないんです」
大人の事情というやつですか.残念.こんなときでもルール至上主義なんだなー.仕方ないか.目の前に避難所の小学校があったから,強行突破すりゃよかったかな.
更に本部で色々とローカル情報を入手.ごみ復活はまだかかりそうだった.粗大ごみは空き地に行けば捨てられるらしい.

泣く泣く布団を捨てに行く.何か色々捨てられるらしかったから,壊れた本棚,炊飯器,割れた窓ガラス,瀬戸物も捨ててきた.ついでに我が家にあるその他粗大ごみも捨てといた.すみません.
しかし空き地は災害ごみが山のように積んである,ものすごい光景だった.

まだ店舗の営業状況は微妙.仙台のヨドバシもヤマダもやってるのに,古川の三大店舗,ケーズ,ヤマダ,コジマは休業中だよー.やっぱ仙台すげーな.

この辺りから,肩凝りを言い訳に,休憩がてら本を読み始める.むしろ本読んでばっかになる.相当な積読本があるから,この際片付けてしまおう.

反省点:
小学校に切り込んで「布団と毛布を持って来ました」といえるくらいの行動力はあってもよかった.

--
この辺でひとまず記録終了.この経験を元に,災害への備えをしていきたい.

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結局,私のような凡人にできることは限られていた.こんなに近くにいても.というのは言い訳で,募金より上のことをする気持ちの余裕がないのかな,恥ずかしながら...

あんまり臭いこというのは好きではないけど(ただ何かしらの形でアウトプットするのは好きなんだが),今回の地震を機に考えていたことがある.

この震災の前日,ある講演会を聞き終え,私は自分の進路に大変な不安を抱いていた.もう今まで使ってきたモチベーションツール(動画とか)を使ってもどうしようもない感じで,調子が悪かった.
俺に研究者とか無理っしょ.就職厳しいんだろうな.人生を棒に振るうことを覚悟しろとかいうサイトもあるし...なんて調子.

そこでこの地震.これを受けてふと頭の中にいろいろなことがよぎる.

亡くなった人が大勢いる.自分の大切な人を失って悲しむ人が大勢いる.財産を失い,職を失い途方にくれてしまった人が大勢いる.たった数十分の出来事でそれまで積み重ねてきた山のようなの成果を,あっという間に崩されてしまった人たちが大勢いる.人生を棒に振るうとかそんなレベルじゃない.何の罪も無い人たちが自分の意思とは別にたくさんの大切なものを失った.

それに比べ自分はどうだ.この身がある.家族もいる.財産もある.
自分の選んだ道が,リスクが大きく,費やしたコストに対してリターンも小さそうなもので,もしかしたら職が安定しないかもしれないなんて不安は,如何に贅沢なことだろうか.自分の決めた行動のために自分に何かが降りかかってしまうのは,正に自己責任.それで仮に不幸になっても,それはそれでいい.そんときゃ,「結局自分には合わなかった」と,身をもって認識できることが収穫なんだから.「やっぱりあん時あーしときゃ良かった」よりずーーーーーーーー...っとましだ.

それに,職を失えどこの身があれば希望はある.贅沢は出来なくても何の問題があろう.この地震で志半ばに倒れた人もいるだろう.夢ややりたいことがあるのに,経済的理由や,身体障害を抱え,それが出来なくなってしまった人も大勢いるだろう.

私にはそれを出来る環境がある.実現できるかわからずとも,幸い,やってみたいと思える気持ちもある.ぼんやりだけど,子供の頃から夢見ていたこともある.自分がやらずに誰がやる.上述したような人たちの分も,自分の夢に傾倒することが,自分に出来ることなんじゃないかと思うし,それこそ使命なんじゃないかと思う.だかもう迷わない.やる.

まぁ私見だし,誰に評価をしてもらおうとも思わない.自分で勝手にそうするだけ.

あー,ここまで言ってやらないのはくそかっこ悪いなw
どうせまた要所要所で弱音吐くんだろうけど,いつものことだし,そうやって発散してくんだろうなー.

じゃあお前こんなことしてる暇あんの?というツッコミは120%正しい.これで終わりにします.

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なんてことを思いつつ,とにかく被災地の逸早い復興を心から願う.

地震記録 4日目-5日目

4日目:2011年3月14日(月)

朝になる.明るくなった我が家を見渡すことに.

居間,ガーン

客間,ガーン

俺の部屋,ガーン

母の部屋,ガガーン

親父の寝室,ガガガーン

キッチンと風呂場は復旧済みだった.
この頃通電する.さすが,狭いのに駅前大通だ.これでライフライン復旧.相当恵まれてた.

さて,何か部屋見てたら途方にくれそうだったから,とりあえずさっさと倒れたものを大体戻す.気は持ちようで何とかなるもんだった.デカブツさえ戻してしまえばあとは年末の大掃除と同レベルになる.各部屋に担当を割り振ってお掃除.

十数年ものの良く分からんものがいっぱい出てくる.この際なので思い切って捨てていただくことにした.

まだ電波はない.電波と食料を求めて散策.近くのケーキ屋さん(我らがきゅうせいどう)と,ぼろい商店が営業してたから,お菓子,飲み物等を入手.
そして何とぼろい商店前の電話が使用可能だった.早急に連絡すべき人に連絡する.指導教員とようやく直接連絡が取れた.研究室の皆も無事のよう.しかしタダで公衆電話を使ったのは初めてだ.両親にも報告し,親戚に安否連絡.

私は引き続き電波を求めてさまよう.駅は立ち入り禁止.駅前のゲオの返却ボックスが溢れまくっているのを見かける.日本人こんなときにも律儀で素敵.どうやら古川駅前七十七銀行周辺が地味ーーーに繋がる.ネットは無理.と,古い友人から電話がかかる.声を聴いた瞬間切れる.電波不安定すぎ.せっかく連絡くれたので公衆電話に戻って安否報告.

この日はちょっとシャワーを浴びさせてもらった.あとは飯食って寝る.

(記憶がごちゃごちゃになってたから整理して書き直す)
5日目:2011年3月15日(火)

引き続きお部屋のお掃除.この日はまだせっせかやってた.

まだ徘徊する.最寄のセブンイレブン前で公衆電話の動作確認をしてたら,電波が入ってる!!バリ3!!すかさずネット起動.ツイッターにログイン.おおおおお!情報の宝庫じゃないか!携帯じゃ使いにくいけど,大分助かる.その他SNSでも一応生存報告.メッセージ頂いた皆様に深く感謝.
受信していた工学部向けの災害関係ホームページを知り合いに送信.そして友人の安否確認開始.送った人は全員無事のよう.

両親に報告.両親も携帯で安否報告.俺もあとはちょいちょいと電話した.数名と落ち着いたら酒を飲むことを約束する.それまでは禁酒すると誓った.