8日目:2011年3月18日(金)
地震からちょうど一週間.気づくともうそんなに経っていたか.
実は募金しようしようと思っていて,どこに募金すればいいかと少し迷っていたが,結局赤十字社に募金することにした.デマ(と信じる)嫌な噂はあったが,ちゃんと使ってくれそう(な気がした,というかあとは信じるしかない).どうせ今月は実家で生活になっちゃってるし,娯楽費もかからないし,本来の生活費をぽんと入れても問題ないと判断.これで変なことに使われたらたまったもんじゃねー.
さてニュースを振り返る.悲しいニュースばかりでどうしようもない.
まだ救助されている人もいるよう.その生命力には驚く.
原発に関して悪い噂が流れてる.
不安ならなおさら,もっと情報を探して,整理してから人に伝えないと大変なことになってしまう.とかぶつくさ考える.
さて,この日は天気が良くなったので,最後の最後に残してた客間の整理に取り掛かる.客間の問題点は二つ.
��.窓が割れてて危ない
��.何故かドアが開かないので入れない.
というわけでまずは1を始末する.ここでラッキー(?)なことに,1を始末すれば窓から入れるので,中からドアを修復すれば2が解決できると思った.
進入成功.しかしドアは直らない.ノブを回しても中のツッパリが引っ込まなくなっちゃったらしい.こりゃどうしようもない.近所の元大工さんが来て見てくれる.やっぱりどうしようもない.ってことで,なにやらそれっぽいカッターでつっぱりをちょん切ってくれた.ありがとうございました.
それから,整理しているときから,家にある使わない布団や毛布が目に入っていた.そうだどうせ捨てるくらいなら避難所に寄付しよう.というわけで,布団を寄付するという口実で古い友人の働く社協へ行く.出会った.こんな状況だから激務のようでお疲れの様子だった.ちゃんと休んだのかな.勤務中だから大して話もせず,とりあえずそこの行政の人に物資の寄付について尋ねる.
「市役所裏の災害対策本部じゃないと分からないです」
というわけで,市役所裏の災害対策本部に向かう.個人商店で建物の被害が小さいとこは結構営業始めてる.ひどく崩れてしまっているお店もあった.
本部に着く.寄付について尋ねる.
「国,自衛隊からの物資を系統的に云々で,個人からの物資は受け付けてないんです」
大人の事情というやつですか.残念.こんなときでもルール至上主義なんだなー.仕方ないか.目の前に避難所の小学校があったから,強行突破すりゃよかったかな.
更に本部で色々とローカル情報を入手.ごみ復活はまだかかりそうだった.粗大ごみは空き地に行けば捨てられるらしい.
泣く泣く布団を捨てに行く.何か色々捨てられるらしかったから,壊れた本棚,炊飯器,割れた窓ガラス,瀬戸物も捨ててきた.ついでに我が家にあるその他粗大ごみも捨てといた.すみません.
しかし空き地は災害ごみが山のように積んである,ものすごい光景だった.
まだ店舗の営業状況は微妙.仙台のヨドバシもヤマダもやってるのに,古川の三大店舗,ケーズ,ヤマダ,コジマは休業中だよー.やっぱ仙台すげーな.
この辺りから,肩凝りを言い訳に,休憩がてら本を読み始める.むしろ本読んでばっかになる.相当な積読本があるから,この際片付けてしまおう.
反省点:
小学校に切り込んで「布団と毛布を持って来ました」といえるくらいの行動力はあってもよかった.
--
この辺でひとまず記録終了.この経験を元に,災害への備えをしていきたい.
----
結局,私のような凡人にできることは限られていた.こんなに近くにいても.というのは言い訳で,募金より上のことをする気持ちの余裕がないのかな,恥ずかしながら...
あんまり臭いこというのは好きではないけど(ただ何かしらの形でアウトプットするのは好きなんだが),今回の地震を機に考えていたことがある.
この震災の前日,ある講演会を聞き終え,私は自分の進路に大変な不安を抱いていた.もう今まで使ってきたモチベーションツール(動画とか)を使ってもどうしようもない感じで,調子が悪かった.
俺に研究者とか無理っしょ.就職厳しいんだろうな.人生を棒に振るうことを覚悟しろとかいうサイトもあるし...なんて調子.
そこでこの地震.これを受けてふと頭の中にいろいろなことがよぎる.
亡くなった人が大勢いる.自分の大切な人を失って悲しむ人が大勢いる.財産を失い,職を失い途方にくれてしまった人が大勢いる.たった数十分の出来事でそれまで積み重ねてきた山のようなの成果を,あっという間に崩されてしまった人たちが大勢いる.人生を棒に振るうとかそんなレベルじゃない.何の罪も無い人たちが自分の意思とは別にたくさんの大切なものを失った.
それに比べ自分はどうだ.この身がある.家族もいる.財産もある.
自分の選んだ道が,リスクが大きく,費やしたコストに対してリターンも小さそうなもので,もしかしたら職が安定しないかもしれないなんて不安は,如何に贅沢なことだろうか.自分の決めた行動のために自分に何かが降りかかってしまうのは,正に自己責任.それで仮に不幸になっても,それはそれでいい.そんときゃ,「結局自分には合わなかった」と,身をもって認識できることが収穫なんだから.「やっぱりあん時あーしときゃ良かった」よりずーーーーーーーー...っとましだ.
それに,職を失えどこの身があれば希望はある.贅沢は出来なくても何の問題があろう.この地震で志半ばに倒れた人もいるだろう.夢ややりたいことがあるのに,経済的理由や,身体障害を抱え,それが出来なくなってしまった人も大勢いるだろう.
私にはそれを出来る環境がある.実現できるかわからずとも,幸い,やってみたいと思える気持ちもある.ぼんやりだけど,子供の頃から夢見ていたこともある.自分がやらずに誰がやる.上述したような人たちの分も,自分の夢に傾倒することが,自分に出来ることなんじゃないかと思うし,それこそ使命なんじゃないかと思う.だかもう迷わない.やる.
まぁ私見だし,誰に評価をしてもらおうとも思わない.自分で勝手にそうするだけ.
あー,ここまで言ってやらないのはくそかっこ悪いなw
どうせまた要所要所で弱音吐くんだろうけど,いつものことだし,そうやって発散してくんだろうなー.
じゃあお前こんなことしてる暇あんの?というツッコミは120%正しい.これで終わりにします.
----
なんてことを思いつつ,とにかく被災地の逸早い復興を心から願う.
地震からちょうど一週間.気づくともうそんなに経っていたか.
実は募金しようしようと思っていて,どこに募金すればいいかと少し迷っていたが,結局赤十字社に募金することにした.デマ(と信じる)嫌な噂はあったが,ちゃんと使ってくれそう(な気がした,というかあとは信じるしかない).どうせ今月は実家で生活になっちゃってるし,娯楽費もかからないし,本来の生活費をぽんと入れても問題ないと判断.これで変なことに使われたらたまったもんじゃねー.
さてニュースを振り返る.悲しいニュースばかりでどうしようもない.
まだ救助されている人もいるよう.その生命力には驚く.
原発に関して悪い噂が流れてる.
不安ならなおさら,もっと情報を探して,整理してから人に伝えないと大変なことになってしまう.とかぶつくさ考える.
さて,この日は天気が良くなったので,最後の最後に残してた客間の整理に取り掛かる.客間の問題点は二つ.
��.窓が割れてて危ない
��.何故かドアが開かないので入れない.
というわけでまずは1を始末する.ここでラッキー(?)なことに,1を始末すれば窓から入れるので,中からドアを修復すれば2が解決できると思った.
進入成功.しかしドアは直らない.ノブを回しても中のツッパリが引っ込まなくなっちゃったらしい.こりゃどうしようもない.近所の元大工さんが来て見てくれる.やっぱりどうしようもない.ってことで,なにやらそれっぽいカッターでつっぱりをちょん切ってくれた.ありがとうございました.
それから,整理しているときから,家にある使わない布団や毛布が目に入っていた.そうだどうせ捨てるくらいなら避難所に寄付しよう.というわけで,布団を寄付するという口実で古い友人の働く社協へ行く.出会った.こんな状況だから激務のようでお疲れの様子だった.ちゃんと休んだのかな.勤務中だから大して話もせず,とりあえずそこの行政の人に物資の寄付について尋ねる.
「市役所裏の災害対策本部じゃないと分からないです」
というわけで,市役所裏の災害対策本部に向かう.個人商店で建物の被害が小さいとこは結構営業始めてる.ひどく崩れてしまっているお店もあった.
本部に着く.寄付について尋ねる.
「国,自衛隊からの物資を系統的に云々で,個人からの物資は受け付けてないんです」
大人の事情というやつですか.残念.こんなときでもルール至上主義なんだなー.仕方ないか.目の前に避難所の小学校があったから,強行突破すりゃよかったかな.
更に本部で色々とローカル情報を入手.ごみ復活はまだかかりそうだった.粗大ごみは空き地に行けば捨てられるらしい.
泣く泣く布団を捨てに行く.何か色々捨てられるらしかったから,壊れた本棚,炊飯器,割れた窓ガラス,瀬戸物も捨ててきた.ついでに我が家にあるその他粗大ごみも捨てといた.すみません.
しかし空き地は災害ごみが山のように積んである,ものすごい光景だった.
まだ店舗の営業状況は微妙.仙台のヨドバシもヤマダもやってるのに,古川の三大店舗,ケーズ,ヤマダ,コジマは休業中だよー.やっぱ仙台すげーな.
この辺りから,肩凝りを言い訳に,休憩がてら本を読み始める.むしろ本読んでばっかになる.相当な積読本があるから,この際片付けてしまおう.
反省点:
小学校に切り込んで「布団と毛布を持って来ました」といえるくらいの行動力はあってもよかった.
--
この辺でひとまず記録終了.この経験を元に,災害への備えをしていきたい.
----
結局,私のような凡人にできることは限られていた.こんなに近くにいても.というのは言い訳で,募金より上のことをする気持ちの余裕がないのかな,恥ずかしながら...
あんまり臭いこというのは好きではないけど(ただ何かしらの形でアウトプットするのは好きなんだが),今回の地震を機に考えていたことがある.
この震災の前日,ある講演会を聞き終え,私は自分の進路に大変な不安を抱いていた.もう今まで使ってきたモチベーションツール(動画とか)を使ってもどうしようもない感じで,調子が悪かった.
俺に研究者とか無理っしょ.就職厳しいんだろうな.人生を棒に振るうことを覚悟しろとかいうサイトもあるし...なんて調子.
そこでこの地震.これを受けてふと頭の中にいろいろなことがよぎる.
亡くなった人が大勢いる.自分の大切な人を失って悲しむ人が大勢いる.財産を失い,職を失い途方にくれてしまった人が大勢いる.たった数十分の出来事でそれまで積み重ねてきた山のようなの成果を,あっという間に崩されてしまった人たちが大勢いる.人生を棒に振るうとかそんなレベルじゃない.何の罪も無い人たちが自分の意思とは別にたくさんの大切なものを失った.
それに比べ自分はどうだ.この身がある.家族もいる.財産もある.
自分の選んだ道が,リスクが大きく,費やしたコストに対してリターンも小さそうなもので,もしかしたら職が安定しないかもしれないなんて不安は,如何に贅沢なことだろうか.自分の決めた行動のために自分に何かが降りかかってしまうのは,正に自己責任.それで仮に不幸になっても,それはそれでいい.そんときゃ,「結局自分には合わなかった」と,身をもって認識できることが収穫なんだから.「やっぱりあん時あーしときゃ良かった」よりずーーーーーーーー...っとましだ.
それに,職を失えどこの身があれば希望はある.贅沢は出来なくても何の問題があろう.この地震で志半ばに倒れた人もいるだろう.夢ややりたいことがあるのに,経済的理由や,身体障害を抱え,それが出来なくなってしまった人も大勢いるだろう.
私にはそれを出来る環境がある.実現できるかわからずとも,幸い,やってみたいと思える気持ちもある.ぼんやりだけど,子供の頃から夢見ていたこともある.自分がやらずに誰がやる.上述したような人たちの分も,自分の夢に傾倒することが,自分に出来ることなんじゃないかと思うし,それこそ使命なんじゃないかと思う.だかもう迷わない.やる.
まぁ私見だし,誰に評価をしてもらおうとも思わない.自分で勝手にそうするだけ.
あー,ここまで言ってやらないのはくそかっこ悪いなw
どうせまた要所要所で弱音吐くんだろうけど,いつものことだし,そうやって発散してくんだろうなー.
じゃあお前こんなことしてる暇あんの?というツッコミは120%正しい.これで終わりにします.
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なんてことを思いつつ,とにかく被災地の逸早い復興を心から願う.
SECRET: 0
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悟りましたね。
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��安人さん
悟っただなんて,大それたものではないです汗.
何かこれ書いてたときは必死でした.
むしろそれが悟りですかねw