あんだけアメリカでドクターを取ろう取ろう言っていたのに,こういう結果になったのですから,私の中でそれなりにでかい衝撃がありました.
超,かっこ悪いですけど.偉そうなこと言ってた分,落とし前をつけねばなりません.
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4月にTOEFLの勉強をしているあたりまでは前向きに考えていました.
アメリカでドクターを取ることがそれなりにリスクを伴うことは自覚していましたが,まぁ失敗しても最悪何とかなるだろうと思っていました.
ちょっとでも興味のあることはやってみて,後悔しないように生きていければいいな,と思っていました.
震災で大変苦しい思いをしている人の分も自分がチャレンジするんだって思っていました.
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私は,生活を支えるようなロボットを開発することが夢です.
ドラえもんのいる22世紀のような世界の実現を夢見ています.
だから,アメリカでお金をもらいながら超高等教育を受けて,その技術を日本に持って帰ってきて日本のロボット技術を発展させてやる,と思っていたわけです.
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心が揺らぎ始めたのが,TOEFL受験後です.
TOEFLが終わって,GREの勉強を始めつつ,行きたい研究室を探し始めたあたりで不安定になっていました.
探せど探せど,行きたい研究室が見つからないのです.ここで勉強したいって思えるところが見つからないのです.
面白そうと思った研究の論文も,全然読みたいと思えなかったのです.
今ある技術でもちゃんと使える形に落とし込むことの方が大切なんじゃないかと,感じるようになりました.
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しかも,原発の探査ロボットととして,日本のレスキューロボットが使えなかったこともショックでした.
作った皆も一生懸命やってたのに,何で...
問題を説明されればあぁそうかと思うけど,でも結局使えないんじゃ意味ないじゃんって思ってました.
結局使ったレスキューロボットは,アメリカのiRobot製の輸入品.
予算がばんばん出る上に,産業界と連携できてる背景はでかい.
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じゃあ尚更アメリカ行けよ,ってことなんですが...
そんなことも考えつつ,震災の影響も落ち着き,学校も始まり,進路も具体的ということになると,すげー現実を見るようになっていました.
急に将来の家庭の生活のこととか,すんげー考えるようになりました.
アメリカの大学院に行くことが目的になっていて,その先を何も考えていませんでした.
それはそうだったのですが,それを不安と思うようになったのは,初めてでした.
それでもここまで準備して来たし,応援してくれている人もいるし,諦めたらかっこ悪いし,ってずっと思っていたのですが,そうすればそうするほど,どんどん気持ちが不安定になっていっていたと思います.
死ぬほど努力して研究しても,日本に帰ってきたら職が無い,アカデミックのポストも無い,なんてことはありえる話で,分かっていたことなのですが,このときは完全に駄目でしたね.
振り返れば,異常な状態だったと思います.何日も食欲皆無で一睡もできていませんでした.
心身共に疲れきっていました.自分より大変な思いをしている人もいるのに,何を贅沢なことを...
とか思うとまた沈んでっていう,いかにもなパターンになってるじゃん,と今だからさらっと言えるわけです.
あと一ヶ月同じ状態が続いていたらと思うと...
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気が付いたら就職情報サイトを調べていました.
まだ採用やってんじゃん.地震の影響で遅れてるんだ.なんて思っていました.
そんなことをしているうちに,少し心が落ち着いていました.
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でもまだアメリカ行きを諦めたくないし,どうすればいいか分からなくなって,尊敬する先生に相談しようとしました.
そしたら何と奇跡の出張中.
それまで人には言いたくないって思っていたけど,もうしんどくて,経緯を今の同期に打ち明けたら,進路指導教員に相談するように言われて,従いました.
これがターニングポイントでした.
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超,かっこ悪いですけど.偉そうなこと言ってた分,落とし前をつけねばなりません.
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4月にTOEFLの勉強をしているあたりまでは前向きに考えていました.
アメリカでドクターを取ることがそれなりにリスクを伴うことは自覚していましたが,まぁ失敗しても最悪何とかなるだろうと思っていました.
ちょっとでも興味のあることはやってみて,後悔しないように生きていければいいな,と思っていました.
震災で大変苦しい思いをしている人の分も自分がチャレンジするんだって思っていました.
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私は,生活を支えるようなロボットを開発することが夢です.
ドラえもんのいる22世紀のような世界の実現を夢見ています.
だから,アメリカでお金をもらいながら超高等教育を受けて,その技術を日本に持って帰ってきて日本のロボット技術を発展させてやる,と思っていたわけです.
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心が揺らぎ始めたのが,TOEFL受験後です.
TOEFLが終わって,GREの勉強を始めつつ,行きたい研究室を探し始めたあたりで不安定になっていました.
探せど探せど,行きたい研究室が見つからないのです.ここで勉強したいって思えるところが見つからないのです.
面白そうと思った研究の論文も,全然読みたいと思えなかったのです.
今ある技術でもちゃんと使える形に落とし込むことの方が大切なんじゃないかと,感じるようになりました.
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しかも,原発の探査ロボットととして,日本のレスキューロボットが使えなかったこともショックでした.
作った皆も一生懸命やってたのに,何で...
問題を説明されればあぁそうかと思うけど,でも結局使えないんじゃ意味ないじゃんって思ってました.
結局使ったレスキューロボットは,アメリカのiRobot製の輸入品.
予算がばんばん出る上に,産業界と連携できてる背景はでかい.
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じゃあ尚更アメリカ行けよ,ってことなんですが...
そんなことも考えつつ,震災の影響も落ち着き,学校も始まり,進路も具体的ということになると,すげー現実を見るようになっていました.
急に将来の家庭の生活のこととか,すんげー考えるようになりました.
アメリカの大学院に行くことが目的になっていて,その先を何も考えていませんでした.
それはそうだったのですが,それを不安と思うようになったのは,初めてでした.
それでもここまで準備して来たし,応援してくれている人もいるし,諦めたらかっこ悪いし,ってずっと思っていたのですが,そうすればそうするほど,どんどん気持ちが不安定になっていっていたと思います.
死ぬほど努力して研究しても,日本に帰ってきたら職が無い,アカデミックのポストも無い,なんてことはありえる話で,分かっていたことなのですが,このときは完全に駄目でしたね.
振り返れば,異常な状態だったと思います.何日も食欲皆無で一睡もできていませんでした.
心身共に疲れきっていました.自分より大変な思いをしている人もいるのに,何を贅沢なことを...
とか思うとまた沈んでっていう,いかにもなパターンになってるじゃん,と今だからさらっと言えるわけです.
あと一ヶ月同じ状態が続いていたらと思うと...
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気が付いたら就職情報サイトを調べていました.
まだ採用やってんじゃん.地震の影響で遅れてるんだ.なんて思っていました.
そんなことをしているうちに,少し心が落ち着いていました.
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でもまだアメリカ行きを諦めたくないし,どうすればいいか分からなくなって,尊敬する先生に相談しようとしました.
そしたら何と奇跡の出張中.
それまで人には言いたくないって思っていたけど,もうしんどくて,経緯を今の同期に打ち明けたら,進路指導教員に相談するように言われて,従いました.
これがターニングポイントでした.
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