りさーちゃーのひよこ
技術のこととか
2015年3月31日火曜日
夢追い: 4.大学院生期① -慢心-
##夢追い
0.はじめに -迷走-
1.幼少~思春期 -夢想-
2.大学生期 -怠惰-
3.留学生期 -復帰-
4.大学院生期① -慢心-
← イマココ
5.大学院生期② -転換-
6.社会人期① -回顧-
7.社会人期② -進学-
8.まとめ -自己実現とは-
久々に振り返る。一番振り返りたくない時代である。
#修士2年-留学後 留学から帰ってきたら、何やら自分が何でも出来るような(実に馬鹿げた)気分になっていた。留学経験がその後の人生に影響を与えたことは事実だが、どうも「カブレ」というものはやっかいである。
そのやっかいな「カブレ」のせいで、
前エントリ
は示したとおりアメリカの大学院に行くんだ!と躍起になっていた。
更に、当時は自己啓発に過度に躍起になり、土日も問わず毎日学校に泊まり込んで勉強・研究をしていた。それが楽しかったのだ。ただ、やっかいは行動力に結びつき、産総研やITベンチャーのインターンや、学内ベンチャー、交換留学生同窓会の監事に足を突っ込んだりしながら、様々な経験が出来た。修士2年という立場も有効に活用し、練習と称して就職活動も行った。
問題なのは、足を突っ込んだその数だった。完全にキャパを超えていた。ただでさえアメリカの大学院に進もうとすれば、少なくはない試験や情報収集をしなければならないのに、取り敢えず面白いと思うだけで優先度の高くないものにも首を突っ込みすぎたのかもしれない。
#修士3年-震災と挫折 帰国して約1年。留学した1年間分の研究時間を取り戻すため、元々留年するつもりだった。留学中に給付型の奨学金がバラまかれたのがせめてもの金銭的救いであった。
そんな修士3年生。まだ研究室泊まり込み生活を続けていた時に起きたのが、あの東日本大震災である。ここでは細かく語らないが、とにかく精神状態が乱れた。
それでも、アメリカの大学院に進学することを目指し、勉強した。交通機関は麻痺し、学校も休校。時間はあった。TOEFL、GREの勉強をひたすら行っていた。だが、本丸のアメリカでの「ロボット研究室」を探すところで、ピタリと手が止まってしまった。分からないのだ、どれをやりたいのか。ただロボットをやりたいという気持ちだけが先行して、これというビジョンが無かった。
そうなると大変だ。何を目的にアメリカに行くのか分からなくなる。じゃあ日本の博士に行くか?いや、そんなコスパの悪い世界はまっぴらだ。でも、アメリカに行こうにも先が見えない。こんな状態でアメリカに行ったら人生を棒にふるうかもしれない。ここまでやってきたのに?片や、就活している同期は自分で生計を立てていけるのに?でも、周りには大見得張ってアメリカ行くと言ってしまったし、今更辞めるなんて言いたくなかった。
震災の影響があったのかは分からないが、異常な精神状態であった。ご飯が喉を通らない。暇さえあれば外を徘徊する。その行為が止まらないのだ。新幹線の中ですら歩みが止まらないのだ。尋常ではない恐怖に襲われた。もう、ダメだと。
という形で、この頃は声だけでかいブレブレ系な学生であったわけである。もう思い出すだけで頭が痛くなる。とんだ恥さらし野郎である。
そんな自分に対する戒めと反省は次節で述べることにする。
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