りさーちゃーのひよこ
技術のこととか
2015年4月2日木曜日
夢追い: 7.社会人期② -進学-
##夢追い
0.はじめに -迷走-
1.幼少~思春期 -夢想-
2.大学生期 -怠惰-
3.留学生期 -復帰-
4.大学院生期① -慢心-
5.大学院生期② -転換-
6.社会人期① -回顧-
7.社会人期② -進学-
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8.まとめ -自己実現とは-
#先生 気になる数人の先生と話し、社会人博士のことを話してみる。皆が皆ポジティブな反応をするわけではない。そこで一人の先生と出会う。先端的な研究をしており、それを実社会へ展開しようとする強い意志を感じる先生だった。ポジティブでエネルギッシュ、話していて好感も持てる人格的にも優れた人だ。行けるかもと思い、社会人博士のことを話してみると、すっかり意気投合。夢が膨らむような話に胸を躍らせた。
この人だ。直感が働いた。早速名刺を交換し、その帰りに履歴書を買い、日が変わる前に過去の業績リストもまとめ、履歴書を書き上げた。先生にアピールするためだ。だが、すぐには提出しなかった。それを出したら引くに引けなくなる。本当に修羅の道に進んでもいいのか、今一度考えた。人生を変え得る可能性を目の前に、心臓がバクバク鳴って一晩眠れなかった。その日が金曜日であったことが幸いであった笑。
周囲が明るくなってくる。希望の朝とはよく言ったものだ。散々悩み、決めた。いや、やはり腹では決まっていたと思う。あとは覚悟だった。
私は、博士課程に進学する。いざ、修羅の道へ笑。
考えてもみたが、正に今現在ロボットが出来なくて心から苦しんでいるのだ。どうにしろ苦しむのでれば、やりたいことを思う存分やって苦しんだほうがずっとマシだろうと。それに、これだけのチャンスがぶら下がってくることなんて、人生そうそうないだろう。ここで見逃したら、絶対10年後に後悔する。私はそういう面倒な人間だ。人生後悔はしたくない。仮に失敗したとしよう。何が起こる?関係者に謝ることにはなるだろうが、私には職はあり、路頭に迷うことはない。また会社のために全力で働けば、家族を養うことは出来るだろう。アメリカに行くと躍起になっていた時とは、本質的に環境が違うのだ。
早朝、先生に履歴書を送る。午前中に返信が来た。アピールになったようだ。RAで学費を工面しても良いまで仰ってくれている。ひとまず、家族に相談しやすくはなった笑。上司を説得する
ひとまず行き先と学費を担保して、家族にも相談した。当然戸惑う。アホだろう、こんなことを言い出すなんて。やはり、学費と時間の心配になる。正直、家族への相談が一番精神的にきつかったと思う。どうしても申し訳無さを感じてしまう。そこはしっかりと話すしかないが、幸いにもひとまずは認めてもらうことが出来た。感謝感謝である。
#会社からの派遣 残る課題は、会社の承認である。会社から派遣させてもらうつもりは全くなかった。言うならば、駅前留学させてくれ、という話である。そんなにモメることも無いだろうと思っていたが、結論は思っていたよりも話が随分と大きくなってしまった笑。
まずは課長に相談した。一度は諭される。「焦って行かなくても、異動するという手はある」と。しかし、私は引けない。「それは承知のうえです。でも、確実に異動出来る保証はありません。私は人生を後悔したくないんです」と、伝えたら流石に聞き入れてくれた。普段私が上司にこんなに主張することなどなかったので驚かせてしまったかもしれないが、今回ばかりは私の人生がかかっている。こんな面倒な部下で申し訳ない、という気持ちだったが、絶対に引くわけには行かなかった。
次は部長である。部長は今こそ事業部にいるが、開発研究所出身で博士号を取得した部下を持った経験もある、優れた技術屋キャリアを持った人だ。人間味もある。この人が部長だったのが私のツキであった。部長は言う。「博士を取りたいという志は認める。ロボットがやりたい気持ちは分かった。でも、すべて自分で工面したら大変だろう。今の業務と繋がらないのは流石に推薦できない。何とか繋げて提案資料を作ってみなさい。」
まさか、会社派遣で行けるのか。よくよく聞くと、会社の大学院派遣制度を活用出来れば、学費、通学交通費、学会出張費が支給されるというのだ。そんなことまで就活では知らなかったが、このルートを部長から引き出せたことは千載一遇のチャンスである。絶対に逃してはいけない。ちなみに、部長との面談の後、工場長に私のロボット博士志望の件を伝えて下さったようだが、やはり却下。推薦はできないとバッサリ。尚更引くわけには行かない。
#承認に向けて 久々にゾクゾクした。やってやろうじゃねーかと。工場長はプレゼンテーションには非常に厳しい。承認を頂くためには、それ相応の資料を作らねばならないだろう。私の博士号取得が、如何に会社の製品開発に貢献するかを、客観的に示す必要がある。
そこから寝る時間を削って、技術提案のプレゼンテーション資料を作成した。提案書なんて重要資料など作ったことはないが、何とかなりそうだと直感的に思った。繋がりうるコア技術を見つけることはできたので、あとは主題、ストーリーと、それを裏付けるバックデータを挿入し、論理展開に矛盾がないかを何度も繰り返し精査する。どこぞやの研修で学んだ、プレゼンテーションの目的は「人に行動を起こさせること」ということを、強く意識しながら作った。
加えて、スライドの色使い、フォント、部品の配置構成等は神経質に調整した。人間の理解の8割は視覚情報で、しかもスライドの内容お30%程度しか理解しないという。ストーリーが最重要ではあるが、ここは美しく理解しやすいものに仕上げ、印象を良くすべきだろう!と、色々資料を読んで何となく綺麗にした笑。
そして工場長、部長、課長に対するプレゼンテーション。何度も練習した。嫁にも聴いてもらって、理解してもらった。心臓はバクバクしたが、自信を持ってプレゼンした。終わった後、工場長から数点指摘を食らう。やっぱきびい笑。でも、その後まさかに一言を頂く。「ようまとまっとう!」 まさか、こんな風に褒めてもらえるとは思ってもいなかった。指摘が少なくなればいいくらいに思っていたので、それはそれは嬉しかった。というわけで、工場長から承認を頂くことになる。
事業企画部長、部長、総務とも面談をした。こちらは意思確認というレベルであった。事業企画部長は人材育成担当をしていることもあり、新入社員の時からお世話になっている人で、厳しくも愛のある優しい上層部である。色々聞かれたが、「お前はロボットがやりたいのか?」と聞かれたのが何故か印象に残っている。正直に「はい」と答えたら、分かったと言い、博士進学に必要な情報を本社からすぐに吸い上げて下さった。この人が動いてくれれば、事実上の承認である。
あとは事業部長。事業企画部長経由で経営企画会議で提案してくださるとのこと。完結で分かりやすい資料、準備は万全であることを示すエビデンスを準備すればOKだった。事業部長は、うるさく言うような人ではない。米国で勤務した経験もある技術畑出身で、博士号に対する価値もよく理解してくださっているのだろう。
その先は会社の人材育成としての承認である。役員レベルの承認を頂き、晴れてゴール。思ったより長かった。
課長→部長→工場長→事業企画部長→事業部長→地区総務課長→本社人事部長→本社総務部長
と、承認を頂くわけである。こんなに壮大なことになるとは思いもしなかった笑。
とにもかくにも、会社からの派遣として正々堂々と博士課程に行っても良いということになった。
#入試 あとは、入試である。博士課程の社会人プログラムの場合は、面接でOKな場合があり、私はそれで当てはまった。ラッキー!コスパいい!
とは言え、希望指導教員のもつビジョンとのマッチングと取った上で、研究の新規性、有効性、学術性があることをある程度示さなければならない。こちらはダイレクトにやりたいことを言えるので、社内の資料ほど苦労することは無かった。資料だけ英語という不思議な縛りがあったが笑。
入試当日、試験開始とともに会場に入室すると、受験番号と名前を言えと。うっそ、受験番号?覚えてねー笑、ということで、平謝りした笑。こいつダメだなと思われただろうが、まぁ緊張はちょっと解けた笑。志望動機を聞かれ、あとは練習通り発表。現在の仕事、修士の研究、博士でやりたい研究を伝え、質疑応答をする。30分程度の試験である。一週間後、無事に合格通知を頂いた。博士となれば、先生が欲しいのだという限り、余程学生側に適正が無いと判断されない限りは通るとは聞いていたが、やはり結果が来るまではソワソワするものだった。
課長、部長、工場長…の皆さんが喜んで下さった。満面の笑みでおめでとう!がんばれよ!と仰ってくださった。
この時思う。何て心温まる人に恵まれた事業部なのだろうと。この会社、この事業部に配属されて本当に良かったと、心から思った。もちろん、博士に行こうと決意して行動に移していなければ、未だに苦しいと言っていたかもしれないわけだ。本当に、人生とは何があるかわからないものである。
#入学 そして、入学である。週に一回の通学を上司から許可頂いている。あとは定時後と休日に基本はメールとスカイプによる指導ということになる。
どうなるのか全く読めないが、中々楽しそうな生活が待っていそうである。また心が折れそうになったら、その時考えればよいだろう。気が向いたら専用のエントリを書くかもしれないし、書かないかもしれない。
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